assyschwarz's diary

最近のブログです。

新しい文章

=2015-01-08=
場と方法のようなことを文章に書いていた。
場の創造、抽象的な変化、個人や会社、生産、視点と認識との関係を書いていた。
方法は、仮定や推測、抽象的な方法や応用を書いていた。
あとは、都市や地方自治のことを書いていた。
情報と経験と他人との関係から、人間の自分は作られる。
治る可能性を消せば治る。
昔が復活した。神が死んだ。もう神は必要ない。
統合と分裂、融和と悪いものの除去によって治る。
馬鹿にならなければ治る。
言葉は、概念だ。
抽象的な学習から仕事が全部分かった。
色んな人間になれば分かる。
馬鹿なものの方が賢いことはある。
ものがただあるだけだとか、人間が育つとか、宇宙があるとかいうことは、実に不思議なことだ。
また、賢い物の方が馬鹿なことはある。
賢いことを言っている人間は、何も賢いことを言っていない。
人間が作ったものは、ただ作ったものだ。人間の手によって、作り変えることが出来る。
哲学や歴史はしない方が良い。何も普通のことが分からなくなる。
数学も、馬鹿になって思い出せなくなる。しない方が良い。
パソコンは知性が無くなる。
だが、何もしないのは悪い。すれば本当に賢くなる。
手段と方法と工夫からものは生まれる。
観察と経験から理解出来る。
体験と視点と経緯から、世界モデルを創ることが出来る。
経緯と価値の世界モデルを創って分かれ。基礎を作って、全部の分野をせよ。
日本語を良く考えれば馬鹿が治る。
数学をしなければ賢くなる。
意識しなければ、意識が治る。
普通の人間なんかいない。人間に普通は無い。
人間は、生まれた環境は違う。だが、共通する信念がある。信念は、深いところでは同じことを望んでいる。
当たり前のことを、当たり前と思わない方が良い。
分かって治るのが多かった。
発想から人間を支配して、発想法を作って分かっていた。
昔と今のどちらかが賢い。それが自分だ。
そろそろ、もう書かなくなって、昔を復活させて、神を止めれば良い。
昔は、おかしな人間だった。
欲求や理想を考えて、意識や意志を知り、理想と経験を知り、価値観と現状の分析をした。
賢かったが、本当におかしな人間だった。
状態を考えて、思考と人格をトレースし、おかしな科学を作り、経緯と経験を考える。
皆の先を読んで、自由を予測し、おかしく能力をつけた。
本当におかしいから、分からない方が良い。
最近は、戦いと宣言と神の経験の中で、分からなくなってまともな人間になった。
馬鹿だが、最後まで思い出して、全て分かった。
そろそろ、日本の最近の分からない時代は終わる。
このまま、日本が昔になる。時代が蘇る。最近のおかしな辛い地獄は、全て治る。
昔の時代に戻る。いつに戻るかは、分からない。
昔は、可能性の開拓、論理的な思考、説明と実験、意識と経験の関係などが分かっていた。
おかしいだけ、賢い人間だった。
自立した引きこもりの経験で、きちんと全て自然に分かっていた。
哲学は、普通に同じようなことを思って分かっていた。
モデルと関係だけが賢かった。自由な経緯と世界モデルを作って分かった。
体験を良く考えることで、神のように分かっていた。
意味が無い。昔なんか、おかしいだけだ。
平和な理想があった。理想によって賢くなり、人間性によって分かるのが分かった人間だったが、皆を同じで違うと思うだけの自由は、完全な自由であり、悪いだけだったはずだ。
最近は、普通だ。神を信じて、哲学と歴史を勉強することで、賢くなった。
昔は、あとは時間や存在を考えていた。ハイデガーサルトルのように、関心や可能性を分かっていた。ただのハイデガーが今、サルトルが昔だ。
この文章は、おかしな人間に見えて、女だ。宇多田ヒカルのような人間に見える。
色々と、想像力と感覚で分かっていた。
僕は、宇多田ヒカルが好きだとは言うが、最近KOKIAの方が好きだ。宇多田には悪いが、宇多田は聴いていると、子供に見える。
色んなことを分かっていた。安心や不安などが多かった。安心するためには、きちんとその人を認めて、許せば良い。自分も同時に、許される。もっと、日本のことを許せば良い。
そのように、自分の仏教を作っていた。
昔は、論理的な思考で全て説明して、実験と考え方を捉えて分かっていた。
最近は、宣言で色んなものになった。
そろそろ、ドイツ人の中学生を止めて、何かの高校生になる。
神を信じて支配したのは、馬鹿なのに出来た。そういう馬鹿が馬鹿すぎるから、消す。
ゼロベースで、人間や社会のことを考えていた。
心理学的に社会のことを考えていた。
自由に戦っていると、ヒトラーを倒すことが出来る。そうすれば良い。
右脳で論理的に考えて、左脳で批判する。それをもう止めれば良い。
脊髄が3つに分かれているから、真ん中を消せば治る。
人間を作って、空間や場や環境を考えて、時間を知って、社会のことを全部考えていた。
コンピュータを知って、モデルを作って分かっていた。
もう、分からない。もう死んだのが自分の女だ。
存在と時間を意識で分かっていた。
書くを止めて、自分になれば良い。
書いた文章を揺らして分かっている。それを消した方が良い。
おかしく、書くだけの馬鹿が女になった。昔から、虫みたいにキモイ。
辛いから、書くのを止めた方が良い。
昔は、経緯から意識が分かった。経験と精神で分かった。そのまま、色んな存在になって、おかしくなった。
もう、外国人は止める。日本人の方が良い。もう何もしない。
昔は、憂国や啓蒙が多かった。色んな思想を自分の体験から全部吸収していた。
具体的に考えれば良い。
そういうことを、書いて忘れるのが悪い。それで、何も出来なくなった。
頭は、単純に動かして使えば良い。何もかも出来なくなって、無くなっただけだ。
芸術は視点であり、EUはメタ国家であり、言語は冠詞だ。そういうことを言う。
宗教のようなものを殺すと治る。おかしなユダヤ人になっているから、そういうものを消すしかない。
自然な体験を繰り返しして、意識で分かっていた。
成長を捉えて、人間の生きる知恵や成長するヒントが全て分かっていた。
自然な体験、感覚、思索などから、意識と神が分かった。
像や理想が全部分かっていた。
上に居るヒトラーを殺すしかない。神はヒトラーだ。
あとは、数学の表記を自由にするとか、考えたことを言っていた。
それぞれの意思を尊重せよ。それぞれの好きにせよ。それが一番楽だ。
それ以上皆のことを考えれば、社会や人間のことが分かる。
神は、居る。神は、僕の人生だ。そういう風に居る。
バークリが神を他人の人生より確かに居ると言ったのは、そういうことを言っている。
神は、左脳に居る。左脳にある神の部分を消すとすぐに治る。
自分は、すぐ次の起きることを言っている。言わずに起こせば治る。
神が判断して、言って信じる意味が無い。言わなければ良い。
怖い戦いを普通にするのではなく、楽な沈黙を普通にすれば良い。
考え方をモデルにして、あらゆる考え方と本質を分かっていた。それのことをモデルと言いたかったのだと思う。もう忘れた。
全て出来るようにして、知性をつけて、自然な考え方、科学的な方法で分かっていた。
本当は逆のことを思っているのに、そう見えることは多い。感情をきちんと表に出した方が良い。
生き方が分かっていた。
コンピュータのシステムで分かった。
宗教は悪い。まだ、科学の方が良い。宗教は、辛いだけなのに賢い人間になる。
殺したり、倒したり、消したりすると、すぐに解決する。それが怖い。解決すると、もうこの文章が終わって、書けなくなる。それで、辛い病気になった。

=2015-01-10=
AAAのBESTを2枚借りた。FLOWを止めて、こちらを聴く。
相手の視点、立場、気持ちに立って、客観視して考えること。
多様な場から価値観が生まれる。
皆の考え方を分かっていた。
人生の経緯を分かっていた。
学習の前と後、する前とした後を思い出して、全ての知を分かっていた。
知る前と知った後などを考えていた。
昔は、自由な人間で、悪かった。同じことを全部して分かっていた。
平和な状態や幸せな状態を考えて、いつ何を思うか分かっていた。
平和と愛から尊厳が生まれると言っていた。
自由にすると勝ち負けが生まれる。統一した方が良い。
巨大企業や競争は悪い。社会が良くなるようで、悪くなるだけだ。
競争以外の発展の方法として、投票や試験がある。そのように上の社長などを選べば良いのかもしれない。
まだ続いた方が良い。止めても何もしない。
馬鹿のままで良い。治ると、頭が馬鹿になる。
父親が、社会の可能性として、立場や階層を残したまま、ローテーションで流動的に立場を変えるとか、社長に沢山の色んな経験をさせるとか、会社の従業員に社長を投票で選ぶ権利を与える、などと提案したが、流動性や色んな経験などの発想は、昔の僕にも多い。
前提と対処と経験から、全て出来るようになって、立場と信念の裏を吸収して、全員を分かった。
機械の基本は、ボタンを押すだけだ。子供でも出来る。あとは、手順や方法を覚えれば良い。誰でも出来る。それで賢くなる。
たらればを考えれば、知性がついて日本語が分かる。そういう風に、自分で日本語を言わないから、文字が読めなくなる。日本語が分からなくなる。
限界なんて、自分が決めるものだ。欲張りは、誰でも同じだ。AAAが言っている。
本当に大切なものなんて、そういくつも無い。何もかも大事だって、抱え込んでいると、何も一歩も進めない。FLOWが言っている。
父親と色々と議論した。昔は、そういう議論をネットでして分かっていた。色んな思いつきを自分もして、それで知性がついた。
自分が決められる世界になれ。
そういう風に世界を成り立たせて作った。
手段を共有し、方法を作り出し、科学と宗教を自由に作り、価値を構築し、考え方を吸収し、ものを実現し、意志を持てるようにし、経験し、選択し、比較せよ。
共有からソ連を作った。成り立たせて構築した。
自由な手段による社会システムを全部の面から構築して書いて創っていた。
おかしいまま放っておけば、世界は治る。
全て悪い。単純な1つの世界になれば良いが、それは馬鹿だ。
自由も、共産も、支配も、愛も、憎しみも、抑圧も、解放も、全て悪い。
何もかも悪いから、それぞれの好きにすれば良い。
良いを信じると、悪いがすぐに死ぬ。それが辛いのが、NOVAやAAAだ。
自分の自由を高めよ。影響力の風上に立って、参加と手段を行使し、世界を正しく集中的に変えよ。
言葉は、発音と語源の分類だ。
自分で経験すれば分かる。考え方を作って、自分で裏側を全部構築して、理由を知り、実体験と自分の分かるシステムで分かれ。
私利私欲を捨てて皆を愛すれば、世界の全てが善であり、悪は同時に善であり、そして、全てのことや全てのものは、全て自分と世界のためにあることが、実感出来る。
全ての善を信じ、悪を倒し、それはそれで良いとし、その上で全ての改善策と可能性を知り、信じているものを変え、悪に立ち向かいながら、悪の理由を知ることが自由だ。
全ての攻撃は助けを求める叫び声であり、一歩高く、深い立場から、裏側の理由を知って、全ての攻撃は受け入れなければならない。また、受け入れれば、解決する。
全ての経験と意識を正しく考えることで、実感で全てのことは確信で理解出来る。
全ては、実感だ。全てのことは、実感であり、想像力であり、構造であり、関係であり、概念であり、言葉であり、経験であり、記憶であり、芸術であり、価値観だ。
本当にその人を愛するならば、その人の望みを殺し、断ち切ることも必要だ。
一歩高い立場から、全員のことを見通して、経験から俯瞰的に受け入れることが出来る。
本当にその人を信じるならば、その人の自由にさせ、全てのことを経験させるべきだ。
だが、本当の慈愛と平和を信じるならば、自由を放棄して戦うことも必要だ。
昔は、ネットで全部分かった、電脳世界の大人の子供だ。
成長と情報の力、Linuxによるシステムの具体性と必然性で、全て分かった。
発見と考え方と経験の力があった。
哲学的に認識と経験を考え、感じ、信じ、実感して分かった。
最近の文章は、邪念を排して、静かに考えれば書ける。
全ては、行動し、発想し、意見し、集積し、共有し、応用し、利用し、工夫し、作り、信じ、変え、壊し、感じ、考え、疑い、築くことにある。
世界を築き、信じるために、判断力と考え方が必要だ。
あらゆる発想と自然な体験から、全ての世界を俯瞰的に見ることが出来る。
また、自分の経験と理性から、自由を知ることが出来る。
自由とは、世界を信じること、方法を知り、想定すること、考え方を知ること、正しさを分析すること、推論すること、実験すること、信じること、疑うことだ。
自由とは、世界に対して、方法を提示し、ものを作り、システムを築き、社会を作り変え、支配し、戦うことだ。
それは、自由と平等の価値観を知り、その上で、社会における実現可能性を知ることで創り出される、発想法と経験の哲学だ。
行動するために、判断力と自由な発想が必要だ。
実現するために、手段と情報と包括的なデータが必要だ。
そして、考えるために、現状分析と未来への展望、愛と希望、憂国の精神と解放の精神を利用出来る。
その上で、全ての実現可能性のために、あらゆる基礎を作って、世界を変えられる。
そこから、全ての科学が生まれる。
科学は、自由にし、平等にし、利用可能にし、変化可能にし、全員で集積される最高の聡明な選択肢や経緯となるべきだ。
戦いは、無い方が良い。だが、戦わなければ、分からないこともある。そこでは、経験と想像力と正しい理性や経験があると同時に、公平で公正な条件と狡猾な手段があると良い。
そして、死はあるべきでない。だが、人間は、いつか死ななければ、正しいことを成し得ない。同時に、恐怖はあるべきでないが、恐怖が無ければ、人は間違える。それでは、何も出来ない。
科学を作り、社会を発展させること。それが自由だ。
自由とは、経験し、自立し、参加することだ。
それくらいのことを書いていただけだ。それが、いつもの文章だ。
理性とは、認識、概念、方法、結果、行動、体験、理性的な考え方、実地的な考え方、理想、自然、世界観、客観視、全体像、システム、参加、変化、手段、機会、可能性、価値観、ルール、決まり、愛、不安、恐怖、実感、正しさ、賢さ、楽しさ、楽、経験、そして治すこと、支配すること、実現することだ。
自分のせいで、日本が弱くなった。何も出来なくなって、分からなくなった。
こんな風にして、独りで歩けなくなるのは当たり前だ。
もっと、確実に、一歩一歩考える必要がある。皆が何も出来ないところから、考え、格闘することで、道は開ける。
自分の道を作るために、もう一度、この世界に安定した、滅びでも良いから、正しい秩序が生み出されるべきだ。
何も出来なくなったのは、AAAが歌っている。そういうものを見ないと、今の日本は分からない。
日本をそんなに外から守るのが悪かった。支配や悪が無いようにするのも悪い。もっと、悪いことが沢山あって、強い心でそれを乗り越えるような、そんな人間になれば良い。
皆、強く生きて欲しい。
理解と理性の世界を作れば、正しく抽象的に分かる。
想像力だけにすれば良い。
発想、工夫、行動、協力、組織、手段、条件、関係から、ものは生まれ、秩序は築かれ、社会は発展する。
どのようにすれば、それが実現出来るか?
何故、それはそのようになるのか?なるべくしてなったのか?
そのような、想像力を書いていただけだ。
発想を知り、方法を知り、手段を知り、協力と関係の中で、全ての基礎を作れ。
愛とは、発想と理解の協調の先にある、真理の世界だ。
全ては、方法と工夫から生まれる。
記憶は、想像力と判断力と知性とともに、融和し、全ての環境へ適応し、全ての生命を成長させ、全ての物理現象を司る、神のイデアを真理の融和によって作り出す。
全ては、愛と能力だ。
全ては、プロセスとシステムだ。
全ては、記憶と可能性だ。
そのように、全てのことは、自由に成り立たせ、関係によって作り出し、変化させることが出来る。
想像力は、環境と記憶から生まれる。
想像力は、工夫と秩序を実現する。
想像力は、吸収と分裂によって、全てのことを存在可能にする。
全ては、存在させると同時に、理由を知り、吸収することだ。
認識力、判断力、想像力、独創性、科学性、相対性、自然と運命が全てだ。
そのような文章を、書いていたと思う。
あとは、組織と方法、場と視点、経験と体験、心と精神、記憶、感覚や感情、愛と不安を考えていたと思う。
あとは、意識や理想について、綺麗ごとのようなことを言っていた。
本当に信じることで、人を許すことが出来る。
本当に受け入れることで、人を支えることが出来る。
本当に勇気を出すことで、人を守ることが出来る。
本当に最後まで付き合うことで、人を助けることが出来る。
全てのことは、全員のためにあると同時に、あなたのためにある。
あなたは、良いことを信じると同時に、悪と戦わなければならない。
何を善とし、何を悪とするか。
時に、自分の善と思う方ではない、悪の方につくことによって、本当の善を成し遂げることも出来るかもしれない。
だが、自分の純粋な理想だけは、忘れずに掲げていて欲しい。それが、本当の自由だ。
信じるから不安になる。信じなければ良い。
疑うことも必要だ。何か正しくて何が間違っているのか、分かっていない。
感覚や経験で分かることが無い。理性で書いているだけで、分かるわけがない。
皆、社会や孤独は、希望を求めている。それが、もう分からなくなってしまって、それで止まっている。それで終わっている。
間違った愛や希望が悪い。僕が間違った希望を与えるせいで、皆おかしくなった。
本当の愛、本当の希望、本当の救いが必要だ。
あとは、社会のことや、相対的な視点や物理のことを言っていた。
自民党ベンチャー、日本の歴史、創造的な会社や体験、職人などのことを言っていた。
僕は、キリスト教を信じているようで、あまり信じていない。
最近、仏教の方が好きだ。僕は、自分の人生が菩薩(ボサツ)に見える。
永遠に皆のために頑張り、戦わない、倒さない戦いをし、地獄をいつまでも治し、自分の信じた神のために努力して、世界と向き合って生きる、地獄の戦いが菩薩に見える。
だが、地獄は低い。仏教では、十界というものがあって、菩薩は仏の次に高く、地獄は一番低い。僕は、菩薩の地獄だから、天使のミミズのようなものだ。
デジタル時代では、劣化しない、永遠に生きるコピー可能なロボットが生まれる。それが世界を支配するだろう。
英語は、判断の言語だ。最初のDoやIsなどの言葉で判断する。それが分かると出来る。

=2015-01-11=
皆を弱くせず、強くする。助言を与えず、自由に考えるようにする。
仏教には、四聖と言うものがある。これが、昔の僕に多い。
声聞とは、人の意見を聞き、調べ、学問や研究や理屈によって世界を分かる、学者のこと。
縁覚とは、縁によって直観的に閃き、思いを表現する、芸術家のこと。
菩薩とは、人を助けるもののことであり、それによって仏の悟りを開く。
仏は、悟ったもののことであり、覚者のこと。
仏とは、生命を生かす源泉の力であり、全てのものに存在する。
悟るとは、僕が考えるに、宇宙や人間や自分のことを、全部分かることである。
仏教には、八識(九識、十識とも言う)というものがある。普通の知覚から、人間全員の意識や、宇宙全体の意識を考えることが出来る。
仏教の縁起とは、普通は、人間と人間の関係性の中で何かが起きることも、運命的や偶発的なことではなく、何かの原因に縁って結果が起きることであるということを指す。
他にも、仏教には難しい言葉が多い。そういう、仏教のような意識や因果性、現象や関係、概念的なことを、いつも書いていた。仏教ではなく、自分の言葉で考えていた。
昔は、歴史や経緯、裏側のことを考えて、分かっていた。
最近、幽霊になった。幽霊を消した方が良い。
幽霊は、生きたまま死ぬとなる。辛いだけになるから、一番悪い。
幽霊を消して、生きると楽になる。
AAAが言うように、痛みや苦しみはヒントだ。
オープンソースは、自分がやりたかっただけで、好きだった。水を得た魚のように、コンピュータ科学が分かった。
日本は、日本語でアニメや音楽をする。日本語は、サムライの言語だ。サムライの言語でアニメや音楽をする有り得ない国が日本だ。
日本が一番良い。仏教は賢いし、治安も良いし、経済的にも豊かだ。全て良い国が日本だ。
戦いは、皆を道連れにする、全てを賭けた滅びか発展の、犠牲か平等の戦いだった。
神は、スターリンヒトラーで、完全に支配する、全てを教え、導く神だった。
そういう、戦いと神があった。宣言と対話の永遠だった。
皆、自分が悪いで賢くなった。だが、皆、自分のせいではない。僕のせいでもない。明らかに自分のせいに見えて、自分のせいではない。時代のせいでもない。皆のせいだ。
何もないまま放っておけば、治る。精神病は、当たり前のことが分かっていない。馬鹿になった方が治る。
昔は、経験と思考の中、たまに振り返ったりしながら、最後まで先に進んだ。
積み重ねと世界モデルで全て分かった。
最近は、振り返ることなく、先を目指して進み続けた。
最初から分かっていた。
幾多の試練は、本当に怖くて、辛くて、分からないものばかりだった。
最後まで耐えて、治して、今を手にした。
今は、全てを受け入れて、もう分かった。投げ出したくなることもあるが、何故かまだ書いている。何故だろう?何故、こんなに自分が出来たのだろうか?
皆も、そういう経験をして欲しい。有り得ない体験をして、自分の力で幸福と達成を勝ち取ってほしい。
それが、僕の目指す理想の世界の1つだ。継続による達成の世界だ。
もう1つの理想の世界は、自分の力で全てが出来、分かることの出来る、自由だ。
全てを掴んで、出来て、達成して、続く。そこに、あらゆる宇宙の全てがある。
神でもない。仏でもない。自分を知るだけでもない。ただ、唯一無二の可能性の全てだ。宇宙の全てだ。だが、そういうものでもないと思う。
僕は、多重人格のようになった。ガブリエルとミカエルとラファエルが、思考を段階的に、連続的に言う。切り替わったりはしない。議論している。北欧神話にすると、フレイヤとバルドルとヘイムダルだ。だが、これらは、賢い。それで、もう全てが分かった。
何も起きない普通の世界が良い。それなら分かる。
誰かを信頼すると、その誰かから信頼される。信じれば、信じてもらえる。人を助ければ、助けてもらえる。救えば、救われる。
相手が良くても、悪くても、自分は良い方が良い。それが起きても、起きなくても、自分は分かっていた方が良い。
世界は1つだ。地球も1つ、宇宙も1つだ。大切だから、守らなくてはならない。
自由と維持は、矛盾する。自由な中では、守れない。維持するためには、秩序がなければならない。
普通のことは、子供を分かると良く分かる。
具体的に作るために、発想、原因と結果、法則と特性、手段と技術力、製造過程がある。
工場は、地理的で、経済的な条件で、政治的に生産、構築、利用出来る。
そういうことを言っていた。
全てのものに愛すべき価値があると考えていた。受け入れるべきだと考えていた。今考えると、それは常識が分かっていない。悪いものはそこまで悪いものが多い。
もう、昔が思い出せる。
時計は今を刻むものであり、エネルギーは全ての根源的な本質だ。そのようにすれば良い。
全ては、今と言う時間の共有だ。
関心の及ばないものも、確かにそこにある。関心が全てではない。客観的に考えるべきだ。ハイデガーは、主観的になりすぎている。
全ては、次元と法則であり、そこでは、人間の関与出来ない普遍的な自然な法則のみが起きる。だが、宗教によって有り得ないことが起きることは、無いとは言えない。
だが、普通に生きる際に、物理学以上のことは問題ではない。
可能性でも、永遠でもないものになるなら、実用性が良いと、父親が言った。技術や、役に立つものを知り、考えれば良い。それもそれで、発展と成長のためには、悪くない。
だが、僕は、有用性よりも、もっと他に真理的なことがあると思う。自分と社会を知り続けることでしか、それは分からない。
あとは、昔は、意識でものを分かったり、人間性で理想を分かったり、心の法則を分かったりすることが多かった。今、それが分かる。
あとは、意図や全体像のモデルを分かっていた。何かを作る、変える、改良する、壊す、廃止する、改革する、支配する、独立させる、解放する、弾圧する、扇動する、信仰する、信じる、つく、反する、戦う、などの自由を分かっていた。
思考のパターンや、機械仕掛けの言葉の全部の神を信じて、永遠を生きた。
もう、永遠や可能性は無く、普通を生きたい。自然なまともな人間になって、普通のことを分かりたい。だけど、今まで分かったことは、忘れたくない。自分のことを、過去のことや考えたこと、考え方などを、普通に思い出したい。有り得ないことは、もうしない。
色んな存在と対話した。
分からなくなっている。無意味に分からなくなるのがおかしい。
ありすぎて、何も無いのがおかしい。
あとは、今の日本を想定して、相手を考えながら文章を書いていた。
理想の世界を築くためには、そのための方法を知り、本当に許された、誰もが参加出来て変えられる関係と許可の状態を作るべきだ。
経験とは、自由に行動し、体験し、認識し、人との関わり合いの中で、愛を知り、信じ、助け、考え、思索することだ。
そのようなことを言っていた。それ以上は、全部言っていた。
宗教は、本当に救われ、楽になり、分かるものを、統一して、新しい宗教を作れば良い。
そのようなことを言っていた。おかしく全部作っていた。
本当にありのまま、自然体で居られる、全てが解放された、楽園のような自由になれ。
全てが出来て、変化可能で、実現出来て、間違った支配や関与のない、強制や差別のない、自由な世界になれ。
そのような、自由な理想のようなことを言っていた。
全部、考え方と方法で分かる。
僕を信じて欲しい。僕は、悪い世界にはしない。
日本を解決したかった。ネットで全部分かった。それだけで書いていた。
経験とは、問題を知り、存在性を知り、可能性を知り、実現出来る発想と手段と応用を知り、ものの構成を知り、人を知り、愛を知り、疑問と変える発想を知ることだ。
経験とは、愛と認識の関係だ。
経験とは、平和な世界を作るために、あらゆる手段を使って、包括的な理想を持つことだ。
それ以上は、同じだ。そういう風に書いていた。
社会の可能性と状態を全部考えれば分かる。
ネットで、思考や反応を全部分かっていた。心の奥底や他人との関係を考えていた。
社会は、栄えよ。
人間は、幸福になり、楽になり、出来るようになり、分かるようになり、達成し、克服出来るようになれ。
そのように、宣言と対話でいつも世界を導いていた。
自分の状態をきちんと分かれば良い。
状況をきちんと把握する。悪いとはいうが、何が悪いのか、具体的にきちんと分かっていない。悪いことなんか、あまりない。そんなに罪や過ちを多く見積もるのがおかしい。
悪いのは、自分の既にあるものや、皆に今あるものを見ないからだ。
日本語は、普通、今分かっていることが分かる言語だ。つまり、今分かっていることに目を向ければ、日本語が分かる。
そんなに信じたり、推論したりしすぎない方が良い。確かなことは、少なくて良い。
色んなものを作った。
国は、公平で、平等で、自由で、好き勝手なことが出来る、皆のための、皆による、皆の国であれ。
学校は、本当に人生の大切な期間を捧げるにふさわしい、意味のある、全員を本当に賢い人間にする、馬鹿にならない、全てのことが分かるものであれ。
所有は、全員のために、あらゆるものを与え、機会と可能性を与え、自由で平等なものであれ。
会社は、創造的で、価値や尊厳や権利のある、本当に自由で、従業員が全ての権利を発揮出来るものであれ。
そういう風に、条件と構造から社会を創っていた。それくらいで、もう、残っていない。
本当に思いやり、本当に善を信じること、出来ることは全てやってあげて、本当にその人のことを考えて接することが、自由な愛、正しい愛、本当の愛に繋がる。
全てのことは、大切な価値と意味があって、その人が信じるに値するように起きる。
辛いことはあっても、善人は、そんなに辛くない。本当に辛いのは、悪人だけだ。
悪とは、人間が名前をつけて、判断する基準から生まれるものだ。本当の悪とは、自分を絶対化し、相手のことを考えず、虐げる、自分自身の罪と不純な気持ちだ。
限界は存在しない。いつまでも続くなら、馬鹿で良い。そのように考えると、他人にへりくだる必要はない。自分だけで、全てのことが出来る。
僕と同じように書き、考えることだ。それが、一番、栄光への近道となる。
自分の力で分かりたいなら、疑うことと、助言を得ることを忘れないことだ。
キリストはおかしくない。罪は、全て、愛を虐げる中から生まれるが、虐げられる方からしてみれば、それを受け入れて、神の救いと天の御国を信じることで、天国へと行ける。
そして、正しい考え方は、全て仏教が言っている。それらだけが賢い。
科学は、人間の努力の結晶であり、人間の全てだ。
哲学は、考えられるあらゆる可能性を、その人が真摯に考えて生まれる、芸術作品のような、人間の考え方の結晶だ。
正しいのは、ニュートン力学カトリックだ。だが、新しい次元と言えば賢い。アインシュタインは、複雑になっているだけで、そんなにニュートン力学以上には見えない。
ただ、科学に本当に革命を起こしたのは、地動説とアインシュタインと進化論だ。
あとは、色んな体験が出来るようにせよと言っていた。自分は、それくらいの馬鹿だ。
社会的に、人生的に、色んな関わりを持って、沢山の体験が出来るように、世界の秩序と参加制度を築け。そのようなことを言っていた。
あとは、宗教的に人生を分かるとか、数字や占いを信じるとか、そういう、非科学的な発想が多かった。そういう風になるのは、止めた方が良い。
ただ、神が対話するなら、天はあるのかもしれない。天は、仏教では、人間の上にある。その下に、修羅、畜生、餓鬼、地獄とある。それらが、馬鹿だ。それらに生まれ変わると、悲惨だが、仏教はそういうところを信じる、悪い宗教だ。
僕がこうなったのは、前の人生で、全てのことを体験したいとか、最高の神になりたいとか、最高の芸術作品を創りたいとか、永遠の二人の愛を望んだとか、王になり、戦争で勝ちたかったとか、全ての科学を超えたかったとか、そんなところだろうと思う。
次の人生も地獄になりたくはない。
もっと長いスパンで自分の今の人生を体験したいと思う。
まず最初に、全てのことを知りながら知らない状態がある。
次に、実験して、試して、話して分かる状態がある。
そして、全てのことを実感で掴んで、行動する状態がある。
そして、全てを自分の手で創り出し、閃き、直感で分かる状態がある。
社会のことを全て分かって、理性的に分かる状態がある。
全ての人間や社会の変化を総じて分かって、実現や作り変えたり支配したりすることが出来る状態がある。
独自に、最高のものを創り出し、1つのことを極め、あらゆることが経験で分かる状態がある。
そして、国を作り、全てを耐え抜き、戦いに勝利し、達成する。
それは、宗教と地獄の中で、あらゆる困難を乗り越え、偉大なことを達成する。
そして、最後に、安らかな平安を過ごす。
そのように、仏教の十界のようなことを考えれば、哲学的に人間の段階を考えられる。
キルケゴールは、美、倫理、宗教の実存の段階とした。
最後に、学問と宗教を知って、普通の人間になる。普通の人間が、一番高い。
あとは、想定や方法から、知の段階を分かっていた。
知にも段階がある。
認識から、方法を知り、具体的に発想し、作り出し、変え、理由を知る。
その中で、関係する理性的な知性を全て能力として開拓し、可能性を高める。
それぞれの関係からものを作り、相対的に分析して、さらに改良する。
組織で協力して、手段を得て、具体的なものをさらに発展させ、知恵を集めて向上させる。
そのように、人生ではなく、知にも段階がある。そのようなことを言っていた。
あとは、学習や可能性や意識にも段階があると思う。矛盾はしない。
あとは、予測や認識のようなことを言っていた。
体験し、想定し、価値観を知り、変化を知り、支配し、行動し、認識し、感情で考えることから、あらゆることは予測出来る。
あとは、馬鹿なことを言っていた。
日本と世界を支配して、皆を馬鹿にする。それが、宗教的なことや共産的なこと、自由なことを言う。そういう、おかしな人間だった。
昔なんか、2ちゃんねるの馬鹿だ。悪いことをして分かった、おかしな人間だ。
ものの価値から評価と価値観が生まれる。本質と理解の融和から真理が生まれ、そこから概念が生まれる。そのようなことを言っていたと思う。
覚えていない。もっと多かった。もっと沢山のことを書いていた。覚えていないだけで、全部書いていた。オープンソースのように、書いて、消して、また書いていた。覚えていない。
あとは、環境とプロセスとか、生態系を成り立たせるとかが多かった。社会に対して、メタ的に説明するようなことを言っていた。
認識とか多様性とか原因とか言って、一行書き直す、そういう自由が多かった。
あらゆる、という意味での法則を書いていた。
認識とは、仮想的で、多様で、具体的な、価値観の法則だ。
多様性とは、世界の全てを包み込み、発生させる、自由の源としての愛の可能性だ。
そういう言葉を、ロボットのように、次へ次へと繋げて、続くように書いていた。
また、そのまま、希望から罪悪感へと至る、苦しみの愛のプロセスを繰り返した。
それで、一行を書き直していた。
認識とは、自由で、愛で、多様な、世界の全ての設計図だ。
認識と自由は、世界を包み込み、愛を生む。
認識は、愛し合うことであると同時に、恐怖からヒントを得ることだ。
さようなら。それで終わりだ。そういう風に書いて、もう一度を書いていた。
認識とは、カテゴリーと原因と結果だ。
認識とは、愛と不安における、感謝の表現だ。
ありがとう。それでは、さようなら。それで、一度終わって、元に戻る。世界が治る。
そのまま、消して、書いていた。いつまでも、メールのように、そういうゼロとイチを繰り返していた。
認識とは、平和と感受性を高めることだ。
認識とは、真実と価値観を知ることだ。
認識とは、全員の持つ価値を吸収することだ。
自由とは、認識の総和と変動だ。
ありがとう。さようなら。それでは。
あとは、悪い王になって、秩序を作っていた。
もう、その秩序は忘れて良い。皆、守らなくて良い。
自由な平和ではなく、何かのことを実現した方が良い。そのためには、不自由であった方がやりやすいだろう。もう、自由は止めて良い。
自由と所有の概念から、共同体と共有が生まれる。
自由とは、考え方と具体的な思想、特に所有と共有であり、会社と税である。
そういう風に考えていた。あとは、殆どもう書いた。
あとは、どのようにそれが生まれるかとか、何がどうなるかとか、考え方のようなことを言っていた。
おかしな経済学の発想が多かった。計画経済の個人所有、などと言っていた。

=2015-01-12=
滅びを殺す。滅ぼす人間を消す。それでもう滅びない。
下に下がって、ロボットになって文章を書いていた。辛くても、頑張った。
自由によって、世界を見通していた。
概念とは、自由な共有と変化と意志だ。
場とは、自由な多様性と創造性の構築の存在だ。
感情とは、自由な恐怖と悲しみの克服だ。
国とは、自由な発展と平等だ。
もの作りとは、自由な設計と構築による機械の創造だ。
研究とは、自由な探究だ。
会社とは、自由な金儲けと技術開発のための組織化だ。
あとは、概念を網羅していた。
自由とは、概念、認識、変化、統一、融和と分裂、因果性だ。
人間は、仏の力によって生かされている。生きるべき間、死なない。
風景や情景は、心の本質を見せている。鏡には、自分が映る。
あとは、可能性のようなことを言っていた。
自動車は、エンジンと言う原理の発明だ。
自由な所有は、いくらでも好きな物を得て、買うことが出来る。
制度は、社会的な発明だ。
社会は、共有と生産手段によって、別の社会になれる可能性がある。
自由とは、制限されず、自由な可能性の中で、限界と基盤を高めることだ。
設計図の共有によって、システムを発展させることが出来る。
科学は、知と発見の方法だ。
生命は、細胞による、自由と平等、愛と循環、生と死の具体化だ。
人間は、言葉によるコミュニケーションと、生産・研究手段と思考と学習の存在だ。
そのように、色んなことを成り立たせて作っていた。
手段と見通しの欠落した自由では、意味のない自由が生まれる。
自由には、賢い意味と手段が存在するべきだ。
あらゆる不平等は奴隷だが、あらゆる平等もまた、奴隷だ。
自由な社会は、奴隷か、無意味か、空虚か、戦いか、孤独によって、関係性と社会性が断ち切られる。
そのような、何かを見なして、説明するようなことから、考え方を分かっていた。
この世界にある宇宙や生命観は、人間の認識と知覚の中にある。本当の宇宙は、全く違う姿をしていて、全く違う宇宙が幾千とあるだろう。
そのような、認識や知覚のようなことを考えていた。想像力と感覚から考えていた。
歴史は、ものや文化から分かる。
人生と生活を構造化すれば、何でも書ける。人間を全員作れば良い。
哲学者は、歴史と数学をするべきだ。それで人間が分かる。
また、哲学者は、外国語と心理学をするべきだ。出来れば、物理や生物も知っておくべきだろう。また、他の有名な哲学者に関して、哲学書などの文献を読むべきだ。
自分を参考にするのであれば、考え方を沢山切り替えて、コンピュータのことをしなければならない。また、経済学や日本のことは、分からなければ、哲学者は出来ない。
哲学者と政治家の違いは、主観と客観の違い、理性と支配や抑圧の違いだ。
賢者と愚者の違いを分かることは、哲学者となるための道と言える。
ただ、哲学者は、そんなに良い物ではない。大人になりきれない、子供のような存在だ。悪く言えば、理性だけにとらわれ過ぎて、悪魔となった餓鬼のような存在だ。
独り孤独となって、社会から一歩距離を置いて世界を見て、色んなことを考えながら、試し、発想して、世界について考えてみて欲しい。そこでは、豊富な情報源を活用して、色んな考え方で考えて欲しい。この世界が何なのか知るために、哲学的に考えて欲しい。
ものの歴史は、重要ではないように見えて、重要だ。ものにも、沢山の歴史があるし、色んな方法や結果が存在する。人間にも、時間軸と経緯がある。そのように時間を考える。
哲学者と宗教家の違いは、真実と嘘、考えることと信じることの違いだ。
信じることは、悪くない。だが、考えないことが悪い。ただ、特に、賢く考えないことが、賢いこともある。宗教家は、悪くは無いが、神と人間倫理についての観念は、哲学的に考える必要があるだろう。