assyschwarz's diary

最近のブログです。

実現可能

実現可能な発想をすると賢い。
具体的な考え方が多かった。
実現可能とは、コンピュータや資本主義などにおける、基礎と関係と発想と条件による、新しい実現だ。
もっと、沢山の実現したいものの実現方法と、自由な発想を考える。
そして、積み重ねの中から、世界における実現可能を知る。
また、構造的に社会を考え、分析することから、成り立たせて実現可能にする。
資本主義は、金によって何でも実現出来る。そのせいで、飛躍的に世界が発展した。金は、優れている。
考え方は、説明であり、知性であり、成り立ちであり、可能性の実現であり、目的の理解である。
考え方は、気づきと説明である。
植物は実をつけて増える。太陽の力で生きている。それぞれ、本当に生きている。
あとは、意味を考える。生きているとは、どういうことか?それは、何を意味しているのか?
そのように、数学的な考え方で、相対主義を考えれば良い。
良く考えると、驚きから新しい発見が出来る。
赤ちゃんの視点を考えたり、都市や年月を視覚化したり出来る。
あとは、具体例から法則と本質が分かるだろう。
だが、そんなに分かっても意味が無い。実現出来て、経験で知ることが出来なければ、意味が無い。
都市には人間が幾らでも居るし、他の町もある。それぞれ、色んなことをしている。
そういう、人間の多様性を、経験から理解出来る。また、楽しい会話をして、絆を培うことが出来る。
自分は、色だ。白い本、赤い書類、黒いノート、青いブログだ。
あとは、理想的な環境と共同体を作っていた。参加と協力を、経験から考えていた。
宇宙には、不思議で、分かり得ない、何かの存在と概念が多い。それは、思考すれば捉えられるものだ。
あとは、社会のことを分かれば良い。
経済政策や実現可能な発想をする。現実の社会を実地的に理解し、経験する。
それで、知性のモデルと変化可能なシステムにすれば良い。それくらいの方が良い。
生命は、体、記憶、種、精神、遺伝、環境だ。
僕は、パソコンが怖い。最近、テレビも怖い。日本はおかしくなっている。知りたくない。知らなくても、分かる。そういう発想が怖いのが、怖いと言う感情だ。
日本は、おかしくない。創造性のある世界になって、個人が勝つようになっただけだ。
世界は、感情の中に全て存在している。世界、即ち、自分の心だ。
歴史は、心の中にある。
世界とは、時代であり、感覚であり、全てを知り、把握する限界であり、その増減だ。
自由とは、論理だ。論理の実証と成立が、即ち、自由だ。
学習とは、論理だ。学習や、比較や、因果性が、即ち、自由だ。
そして、同じであることも、違うであることも、統一することも、好き勝手に居られることも、単純な行動も、高度なシステムや仕組みも、即ち、自由だ。
だが、自由が自由で居られるためには、他の何かとの関係と比較が必要だ。それが、可能性であり、存在だ。
生命は、理性であり、環境であり、生態系であり、適応だ。それは、存在や可能性との関係であり、そこから、全ての人生と言語が生まれる。それが、天における宇宙の姿なのだ。そういう神話で良い。
歴史は自由であり、存在である。全てのものは、自由であり、存在の可能性である。
自由とは、比較であり、記憶であり、理性であり、現実であり、システムであり、多様性だ。
法律は、永遠に、全ての人間に対して、正義があって、公正で、公平で、理性的で、平等で、自由で、全員の意思で、全員が決められるものであれ。
会社は、自由に、全てのことを実現出来、全員に手段を与える、正しい変化と理念のあるものであれ。
国家は、愛と、正義と、幸せと、賢さと、正しさと、柔軟性と、一貫性と、実現性と、聡明さのある、全員のことをきちんと正しく考え、愛し、信じ、国民を利用せず、社会と市民のためであるものであれ。
社会は、強制せず、共有する、関与し、独立する、愛溢れる、幸せな人生と協力があるものであれ。
運命は、生まれた時から決まっているが、最初に決まっていることは、その人の人生は自由であることだ。
宇宙の意味もあるが、それこそ、物理法則と神は矛盾しないことが決まっている。
言語とは、言葉遣いと伝達の中における、理解の決定と限界だ。
宇宙は、自由である。
神は、偶然を支配し、栄光を与える。必然と言うよりは、必然の中での偶然であり、必然と言うよりは、偶然の神による支配と言うべきだ。神は、全ての可能性の中で、偶然の中を変える。
何が起きるかは決まっているし、それは、その人の能力と意志によって決まる。能力で出来ない限界のようなことは起きない。その人の出来る能力で、その人の望む意志によってしか、神は起きない。
精神には、最初から神の部分があって、神の精神は、あらゆることを望むように実現出来る。だが、何も分からなくなって、全ては崩壊し、その上で継続と努力があって、何事も無かったかのように神の体験は終わる。
神など居ない。そういう人間には、自分を唯一、神と思う馬鹿しかいない。それが、キリストの何かの化身のような、神のイデアだ。そんなに居ない。
現実の社会には、つまらないものしかない。やる気のある人間は、有用性と努力と真実の感情から、きちんと世界を分かって、色んなことが出来るようになる。やる気のない人間は、いつまでも何もせず、放っておくと、観察から何かを見出して、経験が分かるようになる。両方になる人間が多い。
この文章があると、色んなことが出来る。無意味なことをしなくなる。そういう人間が、この文章の僕だ。良い人間が増えたが、皆、馬鹿になった。
僕は、全てを知りたかった。もう終わりだ。もう、終わったはずだ。